死ぬまでに決断しておきたいこと20|自分なりの満足を見つけるのが幸せ
人はいつか死ぬ
人は、永遠に生きることはできません。
人に限らず、命を持つものは、いつか死にます。
生まれてくる、ということが何億分の1という奇跡に支えられた出来事であるのと同じように、生まれてきた人間もいつか死んでしまうからこそ、尊いものである、と言えます。
失われたら、肉体は戻ってはこないし、その人の持つスキルも、蓄えた知恵や知識も、そっくり失われてしまいます。
生まれたからにはいつか死ぬ
生物である以上、死ぬことは宿命です。
意思を持つようになったからこそ、人間は死を恐れるのかもしれません。
もちろん、他の生命体も、自分を守るために、死を回避しようとします。
種の多様性を維持するために、男女という性の違いができたのでしょうし、細胞はいずれ細胞分裂できなくなるよう設計されていて、そのために次世代の子孫を残すことで、個体を残そうとします。
自分というものにこだわり続ける、ということは、生命全体の流れからすると、もしかしたら筋が違うことなのかもしれません。
死を見つめる
生きていると、死ぬことを忘れているかのように、永遠に生き続けられるかのように錯覚してしまいます。
ですが、実際は、いつか死ぬ時が来る。
人間は、生まれた瞬間から、死に向かって生き続けることになります。
終わりを見据えて、終わりから逆算して生きて行った方が、ペースをうまく配分できるかもしれません。
マラソンと同じで、最初から飛ばしすぎると後半でバテてしまうかもしれませんし、無理をしすぎるとゴールまでたどり着けないかもしれない。
普通、何をするにも大抵、こうして目標となるものを定めて行動するものです。
ですが、なぜか、死ぬということはゴールとみなされないことが多いです。
死というゴールに向かってどう生きるか、というようなことを言うと、縁起でもない、と敬遠されてしまう傾向があります。
やっておくこと
ですが、死は思わぬところに潜んでいるかもしれません。
生きていること自体、ただの偶然かもしれませんし、死もまた、偶然の出来事がきっかけで訪れることもあります。
いつ死んでもいいように備えておく、と言うことが大事になります。
死を学ぶ
とはいえ、死を体験することはできません。
死んだら、生きることはできないからです。
(臨死体験をする人もいますが、それはごく少数のことであり、自ら進んで体験する、という性質のものでもきっとありません)
だったら、どうやって死について考えるか?
一つの手段は、人の臨終に付き添う立場の人が書いた本を読むことです。
そこで、この本『死ぬまでに決断しておきたいこと20』をおすすめします。
著者は終末医療に携わる医師です。
いろんな人の死に接してきた経験から、様々な事例を通して死ぬということはどういうことなのか、死ぬまでにしておくことは何か、それをまとめたのがこの本です。
結局のところ、いつ死んでもいいように、日々を懸命に生きる、と言うことに尽きるようです。
そして、そのためには、やはり精神的に自分の状態を受け入れることが大事であり、他人を羨むのではなく、自分なりの人生に満足する、という視座を持つことが大事になります。
人生は短い
人生は、本当にあっという間です。
誰にも平等に24時間が訪れています。
結局のところ、短い、と思うその時間自体には、今日を生きている自分も他の人も、同じ24時間でしかなく、長いか短いかは感じ方でしかありません。
同じ24時間をどうやって生きていくか、ということの違いが、人生をどう生きたか、ということです。
生きている時間はあっという間です。
いずれ肉体は滅んで、自分はいなくなります。
ですが、自分の想いは、残すことができます。
それが、人間が生きた証です。
お金ではなく、名誉ではなく、「自分がどう生きたか」
その満足の度合いが「よく生きた」ということです。
自分は自分である、ということに気がつき、自分の人生を認め、それが満ち足りたものであるように生きる(そうなるよう努力していく)、それこそが「幸せ」なのかもしれません。